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旅と言う名の修行

あまりにも予測不能な出来事だった「便座の脇で笑う理由」の続きです。

ないものから見出す

当然ながら、私たちは365日24時間自由だった。会社に行く時間が決まってる訳でもなければ、起きなかったことで誰かに怒られる訳でもない。だらけようとすれば永遠に怠惰に過ごせてしまうのが旅人life。なのにも関わらずだ!わたしはだらけるということが無性に怖かった。制御されない自分がどうなるのか?そしてそうなったらわたしは戻ってこれるのか?戻ってくるべきなのか?またはそのままでいいのか?・・・クエスチョンだらけのよく分からない自問を延々と繰り返してしまい、わたしはその時まだアラームを掛けていた。日本とタイ、時差があるものの会社員時代と同じように6時50分に鳴る携帯のアラーム。止めて二度寝をしてもいいはずなのに、シャッキリ目覚めてしまうわたし。潔くどっぷり旅人らしく生きればいいのに、どこかまだ半分すでに失ったはずの社会人的なアイデンティティーを握っていたかったんだと思う。

チェンマイで10日ほど過ごすと、チェンマイから更に4時間ほど離れた山間の小さなパーイという街に私たちは移った。歩いても回れてしまうほどの小さな街の中心地にマイクロバスで着くと、私たちはバイクを借りた。山間に来たせいかバンコクの蒸し暑さからは比較にならないような気持の良い気温。バイクを走らせると風が気持ちいい。

パーイの朝焼けは最高だった。

パーイ自体が山間なので、少し山を登りパーイを見下ろせる場所までバイクを走らせると、幻想的な霧のようなものが街を覆い隠しす現象に出合うことが出来た。私たちは滞在中、毎日その景色を朝から見に行った。そしてその帰りに街の中心地で屋台のおかゆを食べ、バイクが行き交う通勤ラッシュの街を眺め、気温が上がれば滝遊びに行った。起きるとその日の予定はほとんど決まってなかったのに、暇だとかそういう感覚はなく、遊ぶことだけで気付けば日が落ちる時間になっていた。同じ宿に泊まっている外国人と乾杯したり、屋台のおじちゃんと話したり、さっきまで起こる予定もなかったことで毎日充実していった。

日本にいる時、あれだけスケジュールが埋まらないことが恐れでしかなかったのはなんだったのだろう?特に観光らしい観光をしている訳ではないのに、こんなにも色鮮やかな毎日を過ごせているのはなんでなんだろう?

・・・それはおそらく今しか見ていないからだろう。明日、明後日、1週間後、1ヶ月後・・・そうやって予定を埋めたいのなら旅なんてしなくていい。旅は何かをしてもいいし、何もしなくてもいい。何もしないということが本当に何も得ないかというと、本当は違うからだ。観光や移動、何かしていると表面上落ち着いたりするかもしれない。何かをしている自分に安心するのかもしれない。でもそれは何かをしていることに満足しているだけなのかもしれない。本当は何が欲しかったのだろうか?旅をした、世界一周をした、という既成事実?だとすれば私にとってそんなのどうでもいい!何もないことにどれだけ大切なことを見出せるのか、それが旅の醍醐味だとわたしは思う。何か「あること」に価値をつけるのは誰だって、どこだって出来るからだ。
→次の記事に続きます

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